2022.04.09

年齢や障がいのあるなしを超えてごちゃ混ぜに!
自由な表現活動の場所「アトリエももも」【前編】

アトリエもももは、子どもも大人も自由に表現活動ができる工房。運営するのは、美術館学芸員としてのキャリアを経て、現在は障がい福祉施設で利用者のアート活動を支援している鈴木真知子さんと、精神医療福祉現場で心のケアとして芸術療法やアート活動に取り組んできたアートセラピストの西川直子さん。「こんな場所を作りたい!」というお二人の思いがピタリと一致してアトリエもももがスタートしました。誕生したのは、2020年の春のこと。それぞれがどのようにその思いに至り、これからどんな風景をつくりたいのかを伺いました。

豊富な画材や道具があふれるアトリエ。

■自分がしたい表現ができる場所

Q. どんなアトリエなんですか?

鈴木さん/大人も子どもも、いろんな素材や道具の中から自分で好きな物を選んで、自由に創作するアトリエです。どんな表現をしてもいいし、あそんでもいいし、お茶を飲みながらおしゃべりを楽しむのもまたよし。自分の好きなことを思いのままに楽しめる場所に、と思っています。

ここでまず温かいココアを飲むのを楽しみにしている子も。
なかなか使う機会のない日本画用の顔彩などもある。
家族での参加も。

西川さん/もももでは何をしてもいいし、何もしなくてもいい。何かを教える教室ではなく、私たちが作りたいのは、自らが考えて生み出す表現の場であり、みんなの「居場所」なんです。

鈴木さん/今は月に2回、午前と午後それぞれ2時間ずつ枠を設けていて、定員6名の予約制です(1枠大人1,000円、子ども500円)。障がいのあるなしとか、年齢や性別などのいろんな属性に関係なくだれもがここで表現できる。そしてその表現活動を通して交わって、その縁がみんなの日常につながっていくように、という願いを込めて始めました。

「今日はお人形のおうちを作る」と決めて取り組み、作り上げて満足の笑み!

西川さん/私と鈴木さんは「こういう場所を作りたい」という点では重なっているんだけど、バックグラウンドは全然違う。それぞれが互いにないものをもっている凸凹コンビで、そのごちゃまぜ感がそのままアトリエもももだなと感じています。

■鈴木さんの視点から

Q. では、アトリエもももオープンに至るまでのお二人のことを教えてください。鈴木さんは長年、美術館学芸員を務めていらっしゃったんですよね?

鈴木さん/はい、学芸員としてこれまでいくつかの文化施設や美術館を担当してきました。長野市出身で、結婚して諏訪エリアに住むようになりました。子どもが二人いるのですが、次男が重い障がいをもって生まれたんです。しばらく仕事はお休みして、長男が小学校入学したのを機に諏訪市の原田泰治美術館に就職しました。そこで障がいのある人の作品を展示する企画展をしたり、福祉施設や介護施設から団体で見に来られる方が比較的多い美術館でしたので、そういう方々に向けてワークショップや展示解説をしたりする機会が頻繁にあって、公私共に福祉に近いところにいたという感じでした。

鈴木さんと画家の原田泰治さん(2022年3月に逝去)/写真提供:鈴木さん

特に私の中で大きな変化が生まれたのは、障がいのある方の芸術活動を応援する自主企画展をやらせてもらったとき。そのときに福祉施設に行って作品を見せていただいたり、作家さんのお話を聞かせてもらったりするうちに、作品が生まれる現場に行って何かやりたくなっちゃったんですよね。その思いが高じて、美術館に勤めながら「アートサポーター」養成講座を受講したり、県内で先進的に取り組んでいた方に教えていただいたりして、表現の環境の整え方、声のかけ方、道具の用意の仕方などの細かいことを学びました。     
(※アートサポーター・・・障がいのある人のアート活動を支援する人)

アートサポーター養成講座の様子/写真提供:鈴木さん

それに、社会では“障がい”と言われているその方の特性、その人らしさが、アートだと素晴らしい個性として認められる。障がいのある次男が育っていく土地でもそういう活動ができれば、彼がもっと生きやすくなるんじゃないか、とも思いました。それらの思いがつながって、「福祉の中でアート活動をしたい!」という思いがより強くなって。原田先生にお伝えしたらよく理解してくださり、美術館の仕事を卒業させていただくことになりました。

Q. 福祉現場ではどのようなことを感じましたか?

鈴木さん/転職先の障がい福祉施設では、その頃ちょうど余暇活動の一つとしてアートを取り入れようとしていて、私もその活動に関わらせてもらうことになりました。福祉に身を置いて感じたことの一つは、施設利用者は自宅と施設の往復の生活になりがちで、土日や放課後に友達と過ごすとか自分の好きなことをやるとか、街の中で彼らがやりたいことをやれる場所がほとんどないのが現状であるということ。また、施設など福祉制度の中での余暇活動はやれることが限られていて、充実させるのが難しいと実感し、「もっとみんなが自由に気軽に行けるような場所を地域に作れないかな」と考えるようになりました。そうして、自分ができることとして思い付いたのが“アトリエ”だったんです。

障がい福祉施設でのアート活動/写真提供:鈴木さん

■西川さんの視点から

Q:今度は、西川さんのことを教えてください。
アートセラピストとはどのようなお仕事なんですか?

西川さん/アートセラピストは、表現活動を通して人の心のケアをします。この仕事に就いた背景としてまず自分自身の話をすると、私はどんなに頑張っても読み書きができなくて、子ども時代がとても生きづらかったんです。当時はまだ発達障がいという概念もなくて、ごまかしごまかしやり過ごしてきて・・・。出身は東京なんですが、父の転勤で海外にいた時期もあったから、日本だと「こうしなきゃいけない」ということからズレてもいいような世界でわりと自由に育ってしまって・・・。その後日本に戻って東京で社会に出たときに、やっぱりうまくいかなかったんですよね。20代で胃潰瘍になったのをきかっけに仕事をやめて、「本当にやりたいことはなんだろう?」と考えました。

その後も紆余曲折あって、英語が話せるのを活かして外国人の医療相談を電話で受ける仕事に携わり、そこで出合う“水面下で起きている悩み事”というものに関心をもつようになりました。相談を聞いていると足が痛い頭が痛いって言うんだけど、たどっていくとつまりはとても寂しかった、というように心に繋がっているケースが多くて。だんだん、私は病院や施設に入ってそういう悩みを抱えた人たちを直接サポートしたいと思うようになりました。そして同時に、言語だけでは対応できないこともたくさんあるから、何かほかに治療につながるようなものはないかということも考えるようになったんです。

Q:そしてアートと治療というところにつながっていったんですか?

西川さん/そうですね。アートセラピーの本を見かけて「これだ!」と思い、ワークショップなどを受けてのめり込んでいきました。そして、ある病院の精神病棟で月に1回、ボランティア的にアート活動をさせていただくことになったんです。患者さんも病院のスタッフさんも一緒にやりましょう!というノリでやると、患者さんたちが素晴らしい作品を作るのに対して、ドクターが「すごい!」と驚いたり、看護師が「私、こんなのできない」となったりして逆転したんですよね、スタッフさんと患者さんが。患者さんはそれで自信をもったり、元気になったりするし、これってなんなんだろう?!ってその変化に驚いて、絶対にアートセラピストになると決めました。

Q.「本当にやりたいこと」が見つかったんですね

西川さん/そうなんです。ただ、日本ではアートセラピストってまだ国家資格になっていなくて、それを本職としてやれる土壌がまだあまりないんです。それでどうしたらいいんだろうなと思っていた頃イギリスに滞在する縁があって、イギリスではアートセラピストが国家資格だと知り、大学院で学んで資格を取りました。

イギリスの大学院で学んでいたころに行ったアートセラピーの作品たち/写真提供:西川さん
初めてイギリスの小児病院でアートセラピストとして担当した患者さんの作品。その子はこの作品で自己開示して、その後大きく変化した/写真提供:西川さん

その後、そのままイギリスでアートセラピーの仕事をすることも考えたんですが、元々日本でやりたいと思っていた仕事だったし、ちゃんとトレーニングを受けて学んだことを日本で広めたいと思って帰国しました。

Q. 日本でどのようにアートセラピーを実践していったんでしょうか?

西川さん/まず東京に戻ってやれる場所を探しましたが見つからず、以前にお世話になった方を通じて北関東の病院でアートセラピーを実践するチャンスに恵まれました。そこでは、カルテを書く、病院の医師などのスタッフとケースカンファレンスをしてチームで治療するといった、イギリスで体験してきたことが実現できました。また、廃屋になっていた倉庫を患者さんや地域の人、病院のスタッフさんたちとDIYをしてアトリエを作るアートプロジェクトも行いました。すると、この人できるかな?って心配になるくらいボロボロだった人が、共同作業を通して生き生きと生き返ったんです。アトリエを作ることで自信を取り戻していく姿を見て、人って作ることで元気になるんだなって実感しました。

アートプロジェクトで作ったアトリエ/写真提供:西川さん

そんな中、東日本大震災で被災して、それが転機になりました。いろいろなことを目の当たりにして、自分がセラピーをやる意味を見失ってしまったんです。担当の患者さんもいたし、アトリエまで作って私1人そこから抜けるというのは本当に申し訳なかったのですが、一度立ち止まってリセットしたいと思い、私の仕事を引き継いでくださる方が見つかってから病院を離れました。

Q. そこから長野に?

西川さん/はい。長野県で畑のある暮らしを始めました。でもしばらくして私が興味をもったのはやっぱりアートだったんです。山梨県にある知的障がいの施設でアトリエ活動や障がいのある方の作品の展示など、鈴木さんがやってきたことに近い仕事に携わるようになりました。私はそれまでセラピーを通して精神障がいのある方々と接してきたので、知的障がいのある方の作品がまた全然違うのに驚き、その無垢なアートにとても魅了されました。

山梨県にある施設でのアトリエ活動の様子/写真提供:西川さん

ただ、これはあくまで施設の中でのアート活動なので、これをもっとオープンな環境でやれたらいいなという夢を描くようにもなりました。障がいのある人もない人も、いろんな人が出入りして交われる場所を自分で作ればいいんだ!って。

■アトリエもももの立ち上げ

Q:全然違う場所で歩んできたお二人の思いが重なった瞬間ですね。お二人は元々知り合いだったんですか?

鈴木さん/はい。私がまだ美術館にいたころに、共通の知り合いから西川さんを紹介されて。でも、互いに所属があったし、それから数年間はたまに会って近況を報告する程度だったんです。で、あるとき「そろそろ何か形にしたい」という思いが出てきたときに、きっかけがあって、西川さんとカフェでゆっくり話をしたんだよね。

西川さん/鈴木さんの「実はこんなことをやりたいと思ってて…」という話に、「えーーー!?私もなの!」って、興奮状態で4時間くらい話し込んだよね(笑)

Q. その後、準備は順調に?

鈴木さん/最初は、施設を立ち上げようという勢いで1年程奔走しましたが、制度に乗せた事業をしようと思うと、やりたいこと以上にやらなきゃいけないことが多くてハードルが高かったんです。関わる人が増えると、ちょっとずつ思いがずれてしまうということもあって…。それでふと、そんな大それた形じゃなくていいんじゃない?ってなったんだよね。

西川さん/そうそう。とりあえず2人でできることからやろうよって。ハードじゃなくて、今私たちがコアに思っている部分だけに絞ってやろうって2019年の12月に決めて。そこから速かったよね。プレオープンが2020年の2・3月だったから。

プレオープンに向けて準備/写真提供:鈴木さん

鈴木さん/言葉だけだとイメージが伝わりにくいので、「私たちがどういう風景をつくりたいのかを見える形に」ってやったのがプレオープン。何十人っていう人が集まってくれて、すごくにぎわいました。でもそのあと、コロナの影響が出てきて…。それで予約制にしたんです。

プレオープン時のアトリエ/写真提供:鈴木さん

Q. アトリエの会場はどんな場所?

西川さん/茅野市にある『荒神の古民家』さんの一画をお借りしてやらせていただいています。ここは普段から近所の人たちが寄り合って交流したり、いろんな人が展示や発表、ワークショップなどの活動を行ったりしている場所なんです。

鈴木さん/いろんな人に「アトリエをやりたい」って言っていたら、ある知り合いの方がそれを荒神の古民家の大家さんの娘さんに伝えてくれて。「一度見に来ませんか?」って声をかけてくださったんです。

西川さん/そしたらたまたま、その大家さんの娘さんと私と鈴木さんが山羊座のA型で(笑) それで盛り上がっちゃったよね、「これはやるしかない!」って(笑)そんな軽い感じで始まったのがよかったかもしれないよね。

   後編へ続く→

        ライター・撮影/中野明子 (この記事は2022年4月時点の内容です)

【次回予告(後編)】

「誰もが自由に表現できる場を」というお二人の思いが重なって始まった「アトリエももも」。後編では、実際に動き始めたアトリエもももの様子をエピソードを交えながらお伝えします。

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