2022.09.23

息子のためが出発点。笑顔が連鎖する、優しいパン屋「パン遊舎 pono-pono」

岡谷市の住宅街の一角に、週に1度、土曜日にだけオープンするパン屋さんがあるのを知っていますか?
今年、オープン10周年を迎えた『パン遊舎(ゆうしゃ) pono-pono』。店主の大澤理恵さんが心を込めて手づくりするパンには、卵・牛乳・乳製品が使われていないというから驚きです。
明るい笑顔で迎え入れてくれる大澤さんに、お店が生まれるまでのストーリーや、長年お店を続けてきた思いを伺いました。

■卵も牛乳も乳製品も使わないパンづくり

Q. 元々、料理人やパン職人としてのキャリアがあったのですか?

実は独身時代にはお味噌汁すら作ったことがなかったんですよ。結婚を機に料理をするようにはなりましたが、当時は外食が大好きでした。
ところが、長男である息子が生まれてすぐに重度の食物アレルギーがあることが分かりました。乳児期は米なども食べられず、ヒエやアワなどの麺を買ったりしていましたが、1歳になる頃から少しアレルギーも落ち着いてきました。

それでも外食は厳しい状況で、当時は今に比べて理解も進んでいなくて、アレルギー表示されている飲食店がほぼなかったんです。だから、アレルギーの原因となる食品を除いた「除去食」を自分でつくるしかありませんでした。

最初はやらなきゃいけないというストレスを感じていましたが、自分で作った方が安いし早いし、何よりおいしいと思えるようにもなって、おかげで料理の腕が上がったんですよ。

Q. パンづくりを始めたきっかけは?

息子用の食事も、他の家族が食べるものと見た目が同じになるように工夫していました。
ですがパンはそうもいかなくて、長女のお姉ちゃんにはこっそりパンを食べさせたりしていたのですが、「なんで僕はパンを食べられないの?」と息子に聞かれたこともあり心が痛みましたね。
そこで市販のアレルギー対応のパンを買ってみたのです…。
これがびっくりするほどおいしくなくて、食べさせたくないと強く思ったんです。

自分でつくれないものかと、パンづくりを趣味にしていた前職の先輩に、卵や牛乳、乳製品を使わなくてもつくれるか相談してみました。
「多分できるんじゃないか」ということで、静岡まで先輩を訪ねて、パンづくりを教えてもらいました。
通常はハムやベーコンにも卵白が使われているのですが、その日はアレルギー対応の食材を準備して、惣菜がのっているようなパンを含めてたくさんの種類をつくってみました。

そこで見事にハマっちゃって!
卵とか牛乳がないとつくれないと思っていたけど、使わなくてもできるということに感動しました。焼きたてのパンってこんなにおいしいんだと私自身が実感できましたし、惣菜がのったパンを食べるのも息子は初めてで、すごく喜んでくれました。

帰って来てからすぐに材料を取り寄せて、失敗覚悟でパンをつくってみたら、最初からうまくできちゃって、先輩にも電話して大喜び。
その時に「パンづくりを極めたい」「自分のものにしたい」という意識になりました。

Q. パン屋をやりたいという思いは、いつ生まれたのですか?

息子が3歳になり保育園に入園の相談をしたところ、アレルギー対応の給食調理設備を準備してくれました。だけどパンは対応できないということで、持参する許可をもらったんです。
当時の栄養士の先生が写真を撮っておいてくれていたので、一番最初に持っていったパンの写真が残っています。いま見ると形がわるいですけど(笑)

当時、保育園の栄養士さんが撮影してくれた写真。お店オープン時に贈ってくれた思い出のつまった写真

担任の先生もアレルギーのこともみんなに話してくれたりと協力的でした。息子からパンをわけてもらって食べたらおいしかったみたいで、その先生からの「大澤ベーカリーやってよ!」という一言で、いつかお店をやろうかな?という気持ちが芽生えました。

あとは、上の学年に食物アレルギーを持っていた女の子がいて、お母さんに許可を取ってパンをあげたら「今度いつパンつくるの?」「おいしかった」と声をかけてくれたんです。
もともと息子に食べさせてあげたいなという気持ちから始めたパンづくりですが、同じように困っている人が喜んでくれることがわかり、パンづくりへの自信にもなりました。

■惚れたパン屋で必死の修行時代

Q. お店を持つという夢に向けて、どのような行動を起こしたのですか?

まずは修行から始めました。
息子が小学校にあがり、末っ子の娘が保育園に入ったので、いよいよ本格的にパンづくりをしようと決めました。その頃に、知人から「松本市にすっごくおいしいパン屋さんがあって、教室もやっているよ」と教えてもらったんです。

自分のパンがおいしいと自信満々なので、最初はそれを聞いてもふーんと思う程度でしたけど、お店まで買いに行って衝撃を受けたんです。
自分のつくったパンとは全然違い、「世の中にはこんなにおいしいパンがあるのか!」としばらく放心状態でしたね。そのパン屋のオーナーが、私のパンづくりの師匠です。

すぐにパン教室に応募して、食物アレルギーを持っている子にも喜んでもらえるパン屋をやるために勉強したいということも伝え、3ヶ月くらい通って色々教えてもらいました。更に、お店で修行をさせてもらいたいと直談判。でも十分スタッフがいるから、と最初はお断りをされました。

紹介してもらった別のお店にも行ってみたのですが、やっぱり師匠の元で働きたい気持ちがあって、空きができたらで良いので修行させてほしいと再度お願いしました。根負けしたのか、「じゃあ、給料なしの修行でも良ければ来なよ」と返事をもらえて。今まで教室ではお金払っていたのに、無料で教えてもらえるの?と、ウキウキしちゃいました(笑)

ところが修行を始めてみると、パン教室でにこにこしていた先生の姿とのギャップが激しくて、師匠としては怖い存在でした。
基本的に師匠は無口。分からないことを尋ねると厳しい言葉が返ってくることもあり、その先の工程は全部師匠がやってしまうんです。職人の世界ではまずは見て覚えろということなんだと理解しましたが、連日ヘロヘロで悔しくて泣くことや、「選択を間違えたかも」「こんなはずじゃなかった…」と思うこともありました。

それでも、師匠がつくるパンの味をものにしてやる!という負けん気で続けているうちに、あるスタッフが長期の休暇を取ることになり、代役を務めることになったんです。それ以降、スタッフとしてシフトに入れてもらえたり、少しずつ教えてくれたりと、関係も変化していきました。

ある時、お店のパンの情報に、アレルギー表示を付け加えてもらえないかと師匠に提案をしたんです。パンの原材料についての表示はあったものの、使われているチョコレートや肉加工品などについては表示がなかったからです。アレルギーのある子どもを持つ身としては、事故が起きてしまう心配があると感じていました。
それなら自分でやるようにと師匠から指示されて、全部調べてプライスカードに表示を書き加えました。

その後、初めてもらった名刺には「原材料担当 大澤」と書かれていたんです。開業に向けて調理師の免許を取得していたのもあり、お店では原材料についての責任を負う立場になりました。新しい取引先には必ず師匠に同行し、卸すパンには私が原材料を表示する。気付いたら自然とそういう役割を担うようになっていきました。

Q. 師匠との関係も深まり、大役を任されるようになっていったんですね。
師匠からはどのようなことを学びましたか?

最終的に師匠には、パンについて全部教えてもらいました。大工の友達とも話していたのですが、修行し始めた頃に師匠が私に厳しくしていたのは、弟子としての根性があるかを見られていたのかもしれません。そこから「全部教えよう」と認められるようになったんじゃない?と、言われました。でも、師匠の厳しさが愛情だと気づくまでには、時間がかかりましたね。

お店に入って1年くらい経って、息子でも食べられるクロワッサンをつくってやる!と、突然師匠に言われました。経験はないけど、理論的にはバターを使わなくてもつくれるんじゃないかということで、原材料も既にピックアップしてありました。

師匠オリジナル、バターの代わりの油脂を使ったポノポノクロワッサン

次に出勤したら、サクサクのクロワッサンができあがっていて、号泣ですよ。
「何回も試作していたんだよ」とか「食べてみてと言われた」と別のスタッフから聞いて、余計に泣けてきちゃって。息子に食べさせてあげても、もちろんおいしい。

そして「お前の武器になるから、必ず自分のものにしろ」と、作り方を全部教えてくれたんですね。特許を取っておけば良かったと、師匠は冗談で言っていますけど(笑)
バターは使っていないからクロワッサンではなく「ポノポノクロワッサン」と名付けて販売し続けています。

修行の期間は決めていたので2年でやめましたが、師匠はずっと応援してくれました。私がお店をオープンする前にも、使わなくなったオーブンをゆずってもらいました。いまでも時々、お店に抜き打ちチェックしに来るんです。心の準備をしたいから事前に連絡してと言っても、いつも突然お店に来ちゃうんですよ。

■「ここに居たい」お店を目指して

Q. 修行を終えて、具体的に動き出したのですね。
準備やオープンについて聞かせていただけますか?

お金を貯めたかったので、バイトをしました。そのバイトは接客の仕事で、修行前にもお世話になっていた職場でもありました。接客の楽しさはそこで学びましたし、向いているとも言ってもらいましたね。

それと同時に、業者さんにお願いしてお店づくりを進めました。実は修行前から物件の目処が立っていたんです。このお店は、義理のお母さんの住まいのお隣の建物で、お義母さんが所有していたものの、使わなくなっていたという経緯がありました。改装も自由で、私の自宅から車で数分の距離で便利。それに、お店を始めたらお義母さんの様子も見に来やすいと思って、やるならここだと以前から決めていたんです。

お客さんがお店に訪れた時に、ここにいたいとくつろげるお店にしたいという希望がありました。だから、工事をする時には「一度来たら、ずっとここに居たいと思えるお店にしてほしい」とオーダーしたんです。設計士さん曰く「神社にいるような心地良さ」のイメージで、電磁波の影響が少なくなる施工をしてもらったりもしました。お店づくりを始めてからオープンまでは、1年くらいかかったかな。

長居する方も多いという、明るくあたたかみのある店内

そして2012年、私が41歳の時にいよいよオープンを迎えました。あまり宣伝もしていなくて、市民新聞に載せたのと、近所にチラシを配って挨拶したくらい。それでも、息子が通っていた保育園の先生や友達、近所の方がたくさん来てくれました。今でも毎週通ってくれる常連さんもいます。

初日には手が回らなくて、見るに見かねた友達がレジ打ちや袋詰めを手伝ってくれて心強かったですね。スタッフを雇わなくてもなんとかなるかな?と思っていたけど、なんとかならなかった(笑)なので、夫や長女がお店に立ってくれたこともありました。

Q. オープンは大成功だったようですね。当初からお店を開けるのは週に1度だったのでしょうか?

他の日に買い出しや仕込み、通販対応などもありますが、オープンからずっと営業日は週に1日だけです。その理由は、優先順位は家族が一番で、子どもたちを大切にしたいから。

家を出る子どもたちに、毎日「いってらっしゃい」を言いたくて、学校がない土曜日にオープンすることにしました。土曜日でも、部活の試合などがあるとお店はお休みさせてもらうこともあります。がっつりお店をやらなくても良いのは、夫が私の気持ちを尊重してくれているおかげなので、感謝しています。

元々息子のために始めたパンづくりなのに、オープン直後はパンの完売が多くて息子が食べられないなんてこともあったんです。そうしたら、息子が自分でホワイトボードに「予約」って書くようになりました。それで、誰のために始めたパン屋なんだろう?とハッとしました。今も試食を頼むのは、まず家族ですよ!

■パンで幸せを叶えていく

Q. パンはずいぶん種類がありますね。何種類くらいあるのですか?

パンは約40種類くらいあって、その中から日や季節によって店頭に並ぶパンは変わります。食物アレルギーがある子に「食べられないものがあって、かわいそう」ではなくて、「食べられなくてもこんなに選べるんだよ、大丈夫」と伝えたいんです!

実際にお店で見られる光景なんですが、お父さんやお母さんに「なんでも好きなもの選んでいいよ」と言われた小さなお子さんが、はしゃぎながら「これが良い!」と選んでいる姿が微笑ましくて。卵や牛乳、乳製品を食べられないお子さんの、パン屋でトングをにぎっている姿が見られるというのは、本当に嬉しいですね。

アレルギーのあるお子さんを育てているお母さんって「自分がアレルギー体質に生んでしまった」と悲観的になっちゃう方も多いと思うんです。私がそうだった分、そういう風には思ってほしくない。私は息子に食物アレルギーがあったからこそ、このパン屋を始めることができました。だから、同じように苦しんでいる人、そして私のパンで喜んでくれる人に出会えました。自分を責めていたこともありますが、今は感謝の気持ちでいます。

今ではアレルギーをほぼ克服した息子がお店を手伝ってくれることもありますが、それにもすごく意味があって。「息子のアレルギー治るのかな」「私もがんばんなきゃいけないね」と言うあるお母さんに、息子がさらっと「がんばらなくていいんですよ。大丈夫です、僕が治ったんだから」と答えていたんです。すごく説得力ありますよね。その息子には反抗期の時には大変な思いをさせられたので、今からそれを返してもらわなきゃ(笑)

Q. パンづくりのこだわりを聞かせていただけますか?

例えば、てりやきバーガーはプラスチックのケースに入れるんじゃなくて、わざわざ紙で包みました。息子もそうでしたが、今までバーガーを食べたことがないから、食べ方から知らないお子さんもいますよね。紙をくしゅくしゅにして食べるというところから体験してもらいたいんです。食べられるようになった時も困らないように。

壁にはバーガーにかぶりつく子どもたちの写真が

だけど実は、普通のパン屋さんと同じと思ってもらえるのが一番嬉しいんです。卵や牛乳、乳製品を使わないことで、「どうせそれなりの味でしょ?」と思う方もいるかもしれません。だけど「そう思うでしょ?それがおいしいんで、食べてみてくださいよ!小麦粉を味わってください」とお答えします。小麦粉の香りや味がストレートに伝わるという良さがあるんですよ。

素材にもこだわろうと、昨年にはパンの原料の小麦粉を外国産から全て国内産に変えました。自分でもおいしくなったという実感があるし、「なんか最近おいしくなった?」「腕あげたね」と、気づいてくれるお客さんもいました。アレルギー関係なく、小麦の味が好きでリピーターになってくれている方もいますね。

Q. 10周年を迎えて、今後の展望や思いを教えてください。

全部は難しくても、お客さんの要望にも応えていきたいという気持ちがあります。最近は米粉パンの試作をしているんですが、なかなか難しいんですよ。小麦粉に含まれるグルテンを控えているという方から、それでもパンが食べたいという要望をいただくことが多いので、米粉パンはチャレンジしていきたいことのひとつです。

砂糖を使わないパンはないかという問い合わせもあり、試作を重ねて砂糖の代わりに甘酒を使ったパンも完成させました。以前パンを卸していたご縁もあって、甘酒は地元の松亀味噌さんのものを使っています。米麹の糖分で甘さともっちり感が出るんですよ。今は月に2回、予約制で出しています。

「パン遊舎(ゆうしゃ) pono-pono」という店名の、「遊」には好きなことをして楽しむ、「舎」には場所という意味があります。ありふれた言葉は使いたくないという私の思いを汲んで、設計士さんが提案してくれました。正に私のことだ!と思って、即決したんです(笑)

家族を大切にしながらも、できることでお客さんの喜びや笑顔が叶い、それが私のエネルギーになっていく。本当におかげさまで、楽しい人生です。いつまでも愛されるお店であり続けたいし、私からもみんなに愛を届けたい。愛をテーマに、私が動けるまでお店を続けていきますよ!

ライター/綿引遥可 撮影/古厩志帆 
(この記事は2022年5月時点の内容です)

【編集後記】

初めてパンをいただいた時に、卵も牛乳も乳製品も使っていないということに驚き、そしてそのおいしさに驚き、週に1度しかオープンしないことに驚き。そこに込められた数々のストーリーと思いを伺って、ジーンと感動しっぱなしの取材でした。

こだわりの営業スタイルで続けてきたこと。オープン当初からの長年のファンがいること。パンを求めて県内外からも新しいお客さんが来るということ。そこには、大切なものを大切にできる、そんな大澤さんの強さと優しさ、深い愛情を感じました。10年経っても奢ることなく、みんなの悩みごとに対し、パンを通じて新しいチャレンジをし続ける姿がとにかく格好良い!来店するお客さんは、愛情たっぷりのパンたちを買いに来るのはもちろんですが、エネルギッシュな大澤さんとのおしゃべりで元気を養っていくのでしょう。

何より、こんなにもあたたかいパン屋さんが身近にあるということが、地域や私たちの心を、ぽっと照らしてくれているような気がします。いくつもの嬉しい驚きに出会える「パン遊舎 pono-pono」の赤い扉を、ぜひ開いてみてください。

【店舗情報】

パン遊舎pono-pono
住所:長野県岡谷市長地柴宮1-2-25(岡谷ICから3km)
TEL:0266-55-3810
営業日:毎週土曜日
営業時間:8:30~18:00(商品完売次第終了、臨時休業あり) 
Instagram:@ponoponopan
*駐車場は店舗前、近隣に合計3台分あり
オンラインショップあり(月曜日~土曜日、9:00~17:00)

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