岡谷で日々、続々と不思議なイキモノを生み出し続けている人がいます。nuno*ito asobi(ヌノイトアソビ)として活動する布造形作家の高倉美保さんです。その腕一本でひたすら作り、売り、育児し、走り続けてきて、今や日本全国、海外にも熱狂的なファンをもつ高倉さん。ファッションブランド『ミナ ペルホネン』とのコラボレーションでも知られています。あるイキモノはかわいらしく、またあるイキモノは不気味。どの子も“どこかヘンテコな感じ”をまとい、それぞれに強烈な存在感と個性を放っています。彼らは一体どこから来たのか・・・その誕生現場を訪ねました。
Q:どれ1つとして同じイキモノはいないですよね。どんなふうに作っていらっしゃるのか興味深いです。最初にイメージがあるんですか?
そのときパッと思い付いたものを作っています。私はデザインは描かないし、型紙も使わないんです。最終的にどういう形になるかはいつも分からないまま。ある仕事で「これはワンピースの袖だな」っていう端切れがいっぱい届いて、その形を生かしてぬいぐるみを作ったことがありました。ただ四角い布を渡されるよりも、そんなふうにいろんな素材を渡されて、即興で作るほうがワクワクするんですよね。
Q:いろんな小物がくっついているのもおもしろいです。
この子にはプラスチック製のパキパキするホースを頭に乗せてみました。縫い止めればなんでもくっつく!
気に入らなければくっつけた物を途中で取っちゃったり、大きく顔を整形したりする子もいます。お客さまが購入して何年か経って、貼り付けていた顔が剥がれてきたから取ってみたら、あれ?!もう1個顔が出てきたっ!っていう子もいるかもしれません(笑)。それもその子の生き方っていうかね。そんなことを思いながら1体1体作ってます。ただ、そんなに思い入れがあるわけでもないですよ、ぬいぐるみなので。
Q:それぞれ個性があるんだけど、どれも高倉さんの作品だと分かるのはなぜでしょう? 目でしょうか?
みんな目がいっちゃってますよね(笑)糸で目を描いている子もいるんですけど、ほとんどの子は目が数字のハンコの「0」なんです。ハンコを押してそこにまつげを描いたり、中に色を塗ったり、樹脂で固めたり。手で描いていると統一感がないからハンコにしちゃえって、あるときに思ったんでしょうね、私。
よく見ると、ハンコのゼロの目の隣にもう1つちっちゃな目がある子もいたりね。なんでそうしたのか自分でもよく分からないし、忘れちゃうんですけど。
Q:何か作品につながっているテーマとかイメージってあるんですか?
子どもの頃、地元に来たサーカスや移動動物園を見に行った体験が印象深く残っているんです。賑やかで、なんだかゴチャゴチャしていて、ワクワクする。でも、次の週に行ってみると何もなくなっていて夢みたいじゃないですか。幻だったんじゃないかっていうようなあの感じがすごく好きで、「サーカス」が私の作品のテーマの1つになってますね。
Q:小さい頃から作ることが好きだったんですか?
そうですね。時計を分解して、ねじ組が出てくるとそこにひたすらのりを入れて固めたり、端切れやフェルトを縫って、綿の代わりに中にティッシュを詰めてみたり、何か壊したり作ったりすることが好きでしたね。祖父が大工で、父はシステムキッチンなどを取り付ける仕事をしていたので工具を身近に見ていたし、母は私がとても小さい頃に内職でニットの仕事をしていたり、趣味で何かを作ることが好きだったので、いつもミシンの音がしていました。そういう影響はだいぶ受けていると思います。
漫画や絵を描いて食べていきたいと思っていた思春期を経て、高校卒業後は服飾デザインの学校に進学したかったのですが、家の事情で進学できず、地元のニット会社に勤めました。母と同じ職種に就いたことにしばらく気づきませんでしたけど(笑)
結婚して息子が生まれてからは、趣味で子どもの服やぬいぐるみを作っていました。息子はすごく頭が小さくて、お店にはなかなか合う帽子がなかったので自分で作ったら、ママ友たちがすごく褒めてくれたんです。「これ売ったらいいんじゃない?」「私も欲しい」って。
Q:それが、nuno*ito asobi誕生のきっかけに?
今思えばそうですね。その頃、私自身は離婚のなんやかんやで大変で、それを1歳前後の息子も敏感に感じ取っていたんでしょうね。大人を見るとギャン泣きするようになっちゃって。このままじゃ自分もダメになるし、息子も大人嫌いになってしまう・・・なんとかせねばと思って新聞を見ていたら、ある広告がキラーン!って光って見えたんです。当時、上諏訪駅前で毎月第4土曜日に開催されていた「ヨンサタ」というマルシェイベントの広告です。すぐ応募して、息子をおんぶして母と一緒に売りました。私は布で作った帽子を。母はニットの手編みの帽子を。それがnuno*ito asobiのスタートです。
ニット会社の内職の仕事もあったし、子どもはまだ小さいし、作品を作る時間を捻出するのは大変だったけど、「続けることに意味がある。今やめたらだめだ」って両親に言われて、ヨンサタに参加し続けました。当時、精神的にやられていた私を見て、孤立させちゃいけない、って両親も思ったんでしょうね。「どんどん、そういう所に出て行きなさい」って。そのうち、息子は大人を見ても泣かなくなったし、私も友達が増えました。そして、ヨンサタの仲間から、「クラフト市っていうのがあるんだよ」って教えてもらったんです。
Q:クラフト市にも出展するようになって、作家としての活動が本格化したんですね
2008年に初めて八ヶ岳クラフト市に出展して、帽子とぬいぐるみを売りました。結構ぬいぐるみが売れて、「受け入れてくれる人がいるんだ!」って驚きました。ママ友が、「子どもがご飯を食べなくて困っていたけど、隣にぬいぐるみを座らせたら食べるようになった」って教えてくれたり、お孫さんが帰ってきたときの“お相手の人”として購入してくれた同級生のお母さんが「タカクラちゃんって名前を付けてかわいがってるの。いいわあタカクラちゃん、ほのぼのする~」って言ってくれたりして。自分が作った物を喜んでくれる人がいる。それが私や家族の喜びになりました。
そうして、1つの車に息子と私、手伝ってくれる父・母で乗り込んで、いろんな所に出展に行くようになったんです。
Q:『ミナペルホネン』さんとのコラボレーションで高倉さんを知った人も多いのでは?
そうですね。ありがたいです。コラボレーションのきっかけは、串田和美さんが演出して、まつもと市民芸術館(松本市)でやっていた『空中キャバレー』という演劇でした。息子を連れて観に行って、「見たこともない場所に連れて行ってくれる、こんな夢みたいな世界があるんだ!」って親子で衝撃を受け、虜になった演劇・音楽・サーカスの世界でした。会場ではマルシェもやっていて、なんとご縁あって2013年に初めて参加させてもらえることになったんです。そのとき、ファッションブランド・ミナ ペルホネンの創始者でありデザイナーの皆川明さんがブースにいらっしゃって、私の作品を買ってくださったそうなんです。私がちょうど不在にしていたときに。その後、2015年に松本の縄手通りで行われている『水辺のマルシェ』に参加したときに、再び皆川さんがnuno*ito asobiのブースに寄ってくださって、初めてお話をしました。
そして、「うちの生地でぬいぐるみを作ってみない?」という提案をいただいたんです。
「なんでも好きなものを作って」と言っていただいて、ミナ ペルホネンさんから毎月送られてくる端切れで、ひと月約60体のぬいぐるみを3年間制作させていただきました。すっごくいい勉強をさせてもらいました。
Q:現在は、『布造形作家nuno*ito asobi』としてのお仕事1本でやっていらっしゃるんですよね。
ミナ ペルホネンさんとのコラボレーションをきっかけにニット会社の内職をやめて、作ることに専念するようになりました。
それまでの10年間は、ニットの仕事をしながら作品を作る毎日。息子は体が弱くぜん息があったし、寂しい思いもさせたくなかったから、ニット会社の社長さんにお願いして内職という働き方にさせてもらって、クラフトでも稼ぎながら収入を得て。息子のこと、一緒にあそぶとかいろいろなことは極力自分でやりたくて、休みなしでがむしゃらにやってきましたね。出展前は徹夜で準備して、当日は父と母に店番を頼んで自分はその場で寝てるっていう・・・。
私の父と母も大変だったけど、一緒に出て行っていろんな人と繋がることで違う世界が見れたのは、きっとうれしかっただろうと思います。もう社会人になった息子も、親の商売について行かなきゃならなくて、やりたいことができない葛藤もあっただろうけど、ほかの出展者さんのお子さんとあそんだりいろんな場所で家族と過ごしたりした時間は、寂しい思いはすることなく、楽しかったんじゃないかな。
Q:Tシャツ、スマホ入れ、絵や陶器・・・、帽子とぬいぐるみからスタートされて、今、アイテムがいろいろあるんですね!
クラフト市では自分が出展するジャンルが決まっているから、私は絵を描いちゃいけない人だと勝手に思い込んでいたんですけど・・・。あるとき、知り合いの陶芸家の男性が「俺の陶器に絵を描いてみないか?」ってオファーをくださったんです。その方と出会ったことで、「あ、私、絵を描いてもいいんだな」って。いつも絶妙なタイミングで、世界を広げてくださる素敵な男性(おじさま)が現われるんですよ(笑)
Q:今や全国にファンがいる高倉さん。SNSを拝見しても、ファンの方々からの熱い推しっぷりが伺えます。
ほんと、ありがたいです。私のファンの方はみなさん温かく、熱いんですよ。ファンの方たちが広報マンなんです。買ったキーホルダーをカバンに付けていつも持ち歩いてくれたり、買ってくださったものをSNSにアップしてくださったり。出展してると会いに来てくださって、楽しいお話、心温まるお話を聞きますよ。パジャマ入れとして作ったのに、カバンとして使ってるって言って、こんな大きいのを持ち歩いてくださっている方とか(笑)
ある方は、「このキーホルダー、十何年も前に買ったんですけど見てください!」って声をかけてくださって、見たら、もう顔がなくて綿が出てたんですよ。それでも持ち歩いてくださってて。「綿、出てますよ!」って言ったら、「またビビッと来る子に出会えるまで付けます!」って。
そうかと思えば、購入してすぐにキーホルダーを落としてしまった!という方や、購入したけれど、「ちょっと私とは性格が合わなかったかも・・・」とおっしゃる方もいらっしゃいます。ごくごくまれですが・・・。作品との相性もあるのかもしれませんね。
ちょっと気持ちが落ち込んでいた方が、「作品から元気をもらいました!」っておっしゃってくださることもあって。私がそんなみなさんから元気をいただいているんです。
Q:高倉さんも作品を買う方もそれぞれに真剣で、nuno*ito asobiはとっても愛されていますね!
大切にしてくれる方たちに買ってもらえたら幸せです。そのために、私は頭から湯気や蒸気を出しながら一体一体を作っていきたいし、「こんな人が作ってるんだ」っていうのを知ってもらいたいので、SNSでの発信も頑張ってます。毎日何を見て、何を思って、何を作っているんだろうっていうのがよく分かるように、ありのままを。興味をもってくださる方がいたら、ご覧になってみてください。書きすぎなくらい書いてありますから(笑)
あと、私の作品ってこんな感じだから、作者の年齢も性別もよく分からないし、日本人じゃなくて海外の人が作ってるんじゃないかって思われることもあるんですよ。だから、友人からも、海外で売るのもおもしろいんじゃない?って言われることもあって。子どもも成人して手がかからなくなったし、遠い所まで行ったら、また違う景色が見えるかもしれないということをボンヤリと思ったりもしています。
ライター/中野明子 撮影/澤井理恵
(この記事は2023年9月時点の内容です)
■編集後記
私が高倉さんの作品に初めて出会ったのは、約10年前のことです。娘が誕生したとき、義理の妹がお祝いにプレゼントしてくれたぬいぐるみ。淡いピンク色の「これは多分・・・ウサギ?」な子。よく見ると「nuno*ito asobi」と描かれた布がおなかのあたりに縫い付けられていて、当時気になって検索すると、作者である高倉さんのブログにたどり着きました。そこには、熱く、おもしろく、人情厚く、ときに怒りほとばしる高倉さんの日々が綴られていました。高倉さん、文章力もこれまた素晴らしいのです。
ものを創る、創り続けるって、きっとすんごいパワーを使う。どんなに得意で好きであっても、時にしんどくなることだってあるはず・・・と想像します。高倉さんはそれでも生きるために創り続けてきた。作品にその凄味のオーラが宿っているから、心が掴まれるんじゃないかと勝手に思っています。お会いしてみたいという願いが10年越しに叶ったインタビュー。笑いすぎて涙が出る取材は初めてでした。ますますファンになりました。
【作家情報】
nuno*ito asobi(高倉美保)
Instagram: http://www.Instagram.com/nuno.ito
プリントTシャツ販売サイト:https://suzuri.jp/nunoitoasobi
*出展予定はインスタグラムでご確認ください。